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大阪高等裁判所 昭和46年(ネ)2号 判決

控訴人 株式会社和歌山相互銀行

右代表者代表取締役 尾藤昌平

右訴訟代理人弁護士 北村巌

同 北村春江

同 松井千恵子

同 山本正澄

同 古田冷子

同 岩崎範夫

被控訴人 河井うた

右訴訟代理人弁護士 中村健太郎

同 中村健

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

≪証拠省略≫によると、昭和四一年五月二〇日控訴銀行の梅田支店において、被控訴人が、その名義を架空者二名とする普通定期預金二口(河井弘名義六〇〇万円、河井武名義四〇〇万円、預金者住所はいずれも芦屋市東芦屋五〇と記載)として、合計一〇〇〇万円を、いずれも、期間三ヶ月、利息年四分の割合の約定の下に、「河井」と刻した小判形認印を預金申込書に届出印として押捺して、被控訴人自身で預入れ手続をして、右金員を交付し、定期預金証書二通を受取ったこと、右預金の満期である同年八月二〇日、被控訴人自ら右銀行支店に赴き、右預金証書に依って預金返還請求をしたが、拒絶せられたこと、右印鑑は被控訴人が自己の印として使用し、現に所持するものであり、右定期預金証書(甲第一、二号証)も、前記預入れ当時以来現在まで被控訴人が所持しているものであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

被控訴人は、本件預金の預金債権者は被控訴人であると主張するに対し、控訴人はこれを争い、その根拠として、本件の如き架空名義の預金は、預入者でなくて、資金の出捐者が預金債権者(以下、預金者と略称)たるべく、本件預金資金の出捐者は被控訴人の父塚本正二であって、被控訴人ではないから、預金者も右塚本であって被控訴人でない旨主張するので検討する。

預金が架空名義でなされた場合は、その名義人が預金者とは見られない場合の他人(実在者)名義の預金と同様に、預金の相手方ないし第三者に対しては、その契約者の一方が何びとであるかが一応は匿された形のままで預金契約が成立したものに外ならないが、それでも、右契約者の一方である預金者は、契約成立の時点で特定しており、相手方たる金融機関も、もし欲すればこれを確定し得られた筈であって、ただ預金払戻についての免責の各種保護手段があるため、契約成立時において、その確定の労をとらなかっただけのことである。そして単に預金の払戻のみの関係では(担保設定や相殺など、払戻以前において、金融機関の側の責任で預金者を明らかにする必要のある場合を除く)、契約者の双方は、後日においても、契約成立時における主観的客観的事実たる資料によって、その預金者を確定することが許される訳であるが、この場合においても、預金の出捐者というのは、あくまでも右確定資料の一つであるに止まり、決して、これのみにより、又はこれを資料として優先的に取扱う必要があるものではない。何となれば、預金のための資金の出捐行為は、預金契約の前段階において、その契約とは直接には係わりのない場面で行われる事柄であって、預入れを受ける金融機関としては、直接これに関与して、これを自らの預金者探査の資料とするに由ない事柄であるのみならず、預金の預入者は、その所持する自己又は他人の資金を、何びとの預金として預入れるかにつき、自ら、又は他人の指示により、これに従って、或いは時にはその指示に反して、これを決定する自由を持っており、必ずしも出捐者と預金者とを一致させるとは限らないからである(出捐が贈与や委託の趣旨で行われる場合などは、この不一致は予定された結果であり、出捐金を横領する意思で預金する場合などは、予期に反した不一致となる)。そして、預金者は、右のように預入者の意思の直接の結果として確定されるのであって、出捐又は出捐者の意思という客観的基準は、預入者の主観(これは場合により表示されないままで一種の心裡留保に終ることもあろうが、この場合でも、もし求められたとすれば、表示される筈であった意思として捉えることができる)を媒介としてのみ、この問題の確定手段として妥当するに過ぎない(例えば仮りに預入れの際に、金融機関の側において、預金の資金出捐者だけを知っていたとしても、それは預金者確定のための一つの推測材料たるに止まり、真の預金者を確知するためには、右のほかに預入者の意思を確認する必要があるが如きである)。それ故、控訴人の主張するような、架空名義の預金者は、その出捐者でなければならないとの見解は、一般に妥当するものとはいえない。特に、世上その例の少しとしない前述のような出捐が贈与(この場合には、贈与者が自ら預入者になることさえある)や委託の趣旨で行われるような場合には、出捐者の如何は、預金者確定の基準として採ることができない。

他方、金融機関は、通例、預金約款等で通帳又は証書の提示、交付、届出印鑑の使用により預金の払戻を受くべき旨を定め、これら特約による免責又は民法第四八〇条、第四七八条等の免責によって保護されるために、これらの徴表による払戻当時における預金の実質的又は形式的な支配関係の検討を中心にして払戻に応ずれば通常問題がなく、この限度で、又は、当初の預金者が債権証書の所持によって判明し、かつそれが変動しないという大多数の事例を反映する限りにおいて、第三者より裁判上裁判外で預金の支配者の判定をするについても、当初の預金者の確定の資料として、その価値を有することが認められるのであって、特に金融機関としては、右の支配の外形のための徴表が存在すれば、他に特段の疑念や不審の状況がない限り、債務者の立場では、その者の預金払戻請求に応ずればよく、又これで充分免責を受けられるものであり、これを逆に言うと、右のような支配の外形が存するにも拘らず、これを有する者の払戻請求を拒否するについては、右の権利外観と、実質的権利の所在との喰違いについて、これを肯定ないし推定するに足る相当な資料が存し、それがために、第三者たる真の権利者から後日権利を行使されて損害を受けるとの虞から、その払戻を拒否することの必要ないし利益を、金融機関の方で有する場合でなければならない。

本件についてこれを見るに、前段認定の事実によれば、本件預金は、架空名義であるとはいえ、その預入れ行為即ち預金契約をしたのは被控訴人自身であり、その預金証書を所持し、届出印鑑もこれを自己の物として現に使用しているのは被控訴人であって、現在の本件預金支配者も被控訴人自身に外ならぬと認められ、これらを綜合すると、被控訴人が本件預金を現に支配している外観が、その権利の実体(その権利者が、出捐者とは必ずしも一致する筈のものでないこと、前段説明の通り)と喰違うことを疑うに足る資料は、格別存在しないものと言って差支えない。控訴人は、出捐関係を根拠として、本件預金者が、被控訴人の父塚本正二であるという理由の下に、被控訴人の返還請求を拒否するのであるが、同人の被控訴人との身分関係、≪証拠省略≫によって認められる右塚本が本件預金の預入れ及び払戻請求に際して、終始被控訴人と行動を共にしている事実とに徴して、右塚本が、その出捐の関係がどうであろうとも、後日、本件預金に対する被控訴人の権利を否認して、これを自己の預金と主張して二重払の請求をするが如き危険性は、控訴人として容易に想定し難い事柄であるといわねばならない。それにも拘らず、控訴人として前記の理由で本件預金の払戻を拒否することについては、その権利者確定問題上の利益不利益は全く考えられず、その拒否理由はおよそ首肯し難いものといってよい。以上要するに、本件事情の下においては、本件預金は、被控訴人において、その預金契約を自ら為し、引続きこれを支配して来た事実によって、被控訴人を以てその権利者であると認めるに足り、控訴人主張の出捐者の如何は、この点の事実関係を探究するまでもなく、右認定を覆えすに足る資料と為すに足らず、その他の控訴人の全立証によっても、右認定を左右するに足りない。控訴人の導入預金を理由とする無効の抗弁については、当裁判所は、それが強行法規違反又はその脱法行為であっても、これを控訴人主張のように、民事上も契約自体が無効であるとは認めないから、本件預金が導入預金であったか否かを審査するまでもなく、右抗弁は排斥する。次に、所得税源泉徴収額に応ずる分の支払拒絶の抗弁についても、右徴収分が直接当然に控訴人の権利に属するとは認め難いから、右抗弁も採用できない。そうすると、控訴人に対し本件預金及びこれに対する定期預金期間内の利息及びその遅滞後の遅延損害金の支払を求める被控訴人の請求は全部正当と認むべく、これを認容した原判決は正当で控訴は理由がないから、これを棄却すべく、訴訟費用につき、民事訴訟法第八九条を適用して主文の通り判決する。

(裁判長判事 宮川種一郎 判事 林繁 平田浩)

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